コーヒー文化と民族性(Ayu)

調子に乗ってコーヒーにまつわるあれこれです。実は「コーヒー」と呼ぶものが指し示す実態は、国や場所によって違います。


イタリアで「caffe(カッフェ)」といえばエスプレッソのことですので、ダマヌールの バールでも「Un caffe per favore!(カフェひとつお願いします)」と言えば何の疑いもなくエスプレッソが出てきます。


イタリアには日本で言う普通のコーヒーと似て非なるものに「Caffe americano(カッフェ・アメリカーノ)」がありますが、ドリップコーヒーではなくエスプレッソをお湯で薄めたもので、日本でよく言う「アメリカンコーヒー」ともまた別ものです。そもそもアメリカでも自分たちの飲むコーヒーのことを「アメリカン」とは呼ばないそうですし。


また、日本でもよく飲まれているカプチーノは、エスプレッソにクリーム状に泡立てたミルクを加えたものですが、私のイタリア語の先生は「カプチーノは朝しか飲まない!」と言って譲りません。「もし午後にカプチーノを飲んでいる輩がいたら、そいつはイタリア人ではない!」とのこと。こういった感覚も、日本人にはピンときませんね。午後にあまったるいカフェは、民族的美意識に合わないのでしょうか?


そして昨今、日本にアメリカ西海岸から「サードウエーブ」という新しいコーヒー文化が入ってきていますが、実はアメリカのサードウエーブの旗手たちがお手本にしたのは、昭和の日本の珈琲文化だったと言われています。そうです、昭和の珈琲マイスターたちの「哲学」が、いつしか海を渡り、コンピューター制御の焙煎機の開発などの新しい衣装をまとって、再び日本に帰ってきたのです。


ただ、サードウェーブは日本の珈琲文化のコピーではなく、彼ら独自の手法や哲学に基づいた新しいもの、新たな「多様性」のひとつなのです。ここに、さまざまな文化が影響しあって新たな多様性が今まさに生まれている瞬間を、私達は目にしているのです。


ダマヌールでは、新しい精神的民族独自の文化を創りだすことを目指していますが、ことコーヒーに関してはイタリアの文化が濃厚のようです。いつか「これは日本独自の珈琲文化である」と言って、ダマヌリアンたちに昭和の珈琲マイスター直伝の深煎りドリップ・コーヒーを味わってもらえたら、そこから新たな多様性、新たな文化が生まれるのではないかと、密かにその日が来ることを期待しています。


そう言えば、今週のセミナーで来日する講師ピオブラの植物名は「カフェ」、コーヒーノキさんなのでした。セミナーでピオブラを交えて各国のコーヒー文化や、新しい精神的民族の目指すべき文化や芸術に関して語り合いませんか?お待ちしています!

                                                (Ayu)