愛すべき『私の中の私たち』

 

    幼少の頃から、
    私の心の中には、常にいろんな人たちがいて、
    そのいろんな人たちが、
    いろいろ話すのを聞いていた記憶があります


    「その話し合いの場が自分自身なんだ」
    という感覚が芽生えてきたのは、
    小学生になり、物心ついてきた頃のことです。

 

 おばさんになり、半世紀以上も生きてきた今では、
 この自分の心の中にいる多様な人たちの話し合いに
 自分自身が積極的に参加し、
 話し合いの内容を総括できるようになってきていると感じています。

 こういうことができると、
 年を経るのも悪くないなあとしみじみ思えます。

 

 ああ、またいつもの人が強く主張してるな。
 このごろ、ちょっとおとなしいなあを思っていたのに、
 まだまだ、自己チューだなあ。

 というように、
 自分の中の各人の個性について
 あきれながら、辟易しながらも、
 ユーモアの感覚を使って
 なんとか認められるようになってきました。
 

 そんな自分に気付き、
 若い頃に比べて、ずいぶん変わったなあ
 と思える、今日この頃です。

 数年前、ダマヌールの「パーソナリティーのコース」を受講したときには

 まだまだ、そんな心境にはなれず、
 自分の中の多様な人々をえり好みしていた感がありました。
 あれから、数年経った今、
 あのコースに出たことの効果を実感しています。

 この3月に再度、
 「パーソナリティーのコース」が東京にて開催される運びになり、
 今度は、どんな変化が自分の内面にもたらされるだろう
 と大変楽しみにしています。


 この人生の中で、
 絶対別れることのできない仲間である「自分の中のパーソナリティー達」に

 出会えるまたとないチャンスなので、
 できるだけ多くの方々に体験していただきたいなあ
 と願っています。


                          RANA