散らかった部屋

 

学生の頃から、ものごとがうまくいかないときは、決まって部屋の片付けをしていました。

部屋の片付けをすると、いつの間にか解決している・・・

 

なぜだろう。不思議だなあ。

本当によく効くものだから、深く考えずに「うまくいかないときは部屋の片付け」というのが習慣になっていきました。

 

ある日、毎度のように部屋の片付けで解決しようとしていたとき、ふと気がつきました。

 

「うまくいかないときは必ず部屋が散らかっている。部屋が散らかっているときはきっと何かがうまくいっていない」

 

当然のことなのだけれど、長年不思議だった片付けの法則に合点がいったのでした。片付けるべき場所に、物を片付けない小さな怠慢。

この怠慢を重ねているから、当然ものごとは立ち行かなくなる・・・

 

この怠慢はすべてに通じていて、着る服、選ぶ道具、書く文字、話す言葉、仕草まで、内面は見事に外見に現れているのだと気付いたその途端、散らかった自分の部屋を見て愕然としたのでした。

 

「外見よりも内面を」という価値観はその日から、

「外見は内面の一番外側」という解釈に変わりました。

 

それなのに・・・

頭で解釈が変わったからといって、怠慢が治るわけもなく、

散らかしては片付け、また散らかしては片付ける、途方にくれる毎日なのであります。

 

片付けるべき場所に、いつも物を片付けていさえすれば、常に心はシンプルで、行動の根拠はいつも明快。いつの日か、そんな人間になりたい・・・

 

「外見は内面の一番外側」

散らかった内面を、仕事場で、仲間内で、家族間で、いつも晒していたのだな・・・

内面のメカニズムは、想像以上に多岐にわたって関連し合っているのかもしれないな。

 

 CLIONE