昼休みに珍しい相手から着信があった。母親だ。
聞けば父親がこの連休に上高地に出かけると言って家を出たのだが、置いて行った登山届を見たら西穂高山荘から独標まで行くと書いてあったとのこと。
「あの歳であんなところまで言ったら死んでしまうやないの!!」
79歳で心臓疾患持ちの父親に、西穂高岳山頂に向かう途中の巌壁の独標までたどり着けるとは確かに思われない。
「とにかく同行者の連絡先の書いてある書類をファックスするからなんとかして止めて!!!」
叫ぶように言った後は長年父親の身勝手さに振り回された情けなさを喚き散らしておいおい泣き始めた。こちらのいうことは全く届いていない電話を切らずにそのままにして、祈りのろうそくに火を灯した。
ひとしきり泣いた後少し落ち着いたので、話を改めて聞くと、先に電話した妹は「忙しい」と言って取り合わず、弟は留守電で連絡が取れなかったらしい。ファックスが届いたら父親に連絡すると約束して電話を切った。
西穂高山荘から西穂高岳に向かう途中の独標には、自分が小4の時に登ったことがある。幼稚園児だった弟はその途中のハイマツの影で疲れて眠り込んでしまい、家族をそこに残して父親と二人だけで独標まで辿り着いた。巨大な岩壁を、鎖を手にとってよじ登った体験は今思い出してもわくわくする。
多分、父親はこれが最後の機会だと思って西穂に行くのだろう。
行き先に独標と書いたのは、見栄というよりもかすかな希望。
山に別れを言いに行くのかもしれないが、確かにそこで死んでも本望くらい思っているかもしれない。若き山男なら西穂山荘から独標は初心者コースだが、ろくに鍛えていない後期高齢者には無茶は無茶だ。
いろんなシンクロニシティーが動きを見せている今、どう行動するべきか。
しばらくしてファックスが届いて、そこに書かれていた父親の携帯に連絡すると、あっさりと継がった。
「さっき母から偉い剣幕で電話があったぞ」
と言うと
「うん?なに、どうした?」
と、隠し事があるときの昼行灯モード。
「独標に行くなんて自殺行為や言うて叫んどった」
と言うと、苦笑しつつ
「まあ、行けるところまで言ってみようと思って、、、」
お互い、偽山男モードで分かり合ってしまうのも問題だが、最後にちょっとだけ冒険がしたい下心が見え透いてしまう。
「まあ、無理はせんに越したことはないけど、母親に電話入れて安心させてやってよ」
と言うと
「ん?ついさっき電話したけど何も言っとらんかったぞ」
との答え。なんじゃそら。
「そんなら納得したんかもしれんけど、まあ気をつけて行ってきて」
「うんうん、わかっとる」
最後はまた昼行灯モード。
仕事が終わってから母親に電話すると、その間に弟から連絡があったらしく、ずいぶん落ち着いていた。
「なんかほとほと呆れ果てて情けなくなっちゃってねぇ、、、」
もうなんど、母親とこの話をしたかわからないが、父親が母親の思うように変わることはとうにあきらめているはず。
「そういう感情に振り回されないように心の平穏を保って、無事に帰ってこれるよう祈ったらいいや無いの」
自分で言いながら、ああ、コレ自分に対して言っているな、という既視感。
「夏休みにあんたと二人で登ったところでしょ、独標て。行きたい気持ちはわかるんやけどねぇ、、、」
そう、今度は孫を連れて登りたいと言っていたんだよなぁ。
「なんか久しぶりに喋れたから落ち着いたわ。ありがとう」
と言って母は電話を切った。
いえいえ、母よ、父よ。
落ち着いたのはこちらの方ですよ。
ありがとう。
(写真はhttp://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mount_Nishihotaka_from_Mount_Maru_2001-09-05.jpgより)