年末年始にダマヌールを訪れ、ランチタイムに30代の若いダマヌリアンたちとおしゃべりしていたときのこと、話が日本人の宗教観みたいな話題になった。
「日本には神道と仏教があるんだろ?どうやってお互いに対話するんだい?」
うーむ、言われてみてはたと困った。
「そうだなぁ、日本人の生活に浸透しているのは神道だと思うけど、、、」
お宮参りの習慣を説明すると、すかさず
「それは洗礼みたいなものか?」
と質問される。
儀式的な意味はそれに近いかもしれない。でも、日本人はお宮参りしたから自分がシントイストになったという自覚は殆ど無いだろう。
思い切って説明する。
「実は多くの日本人は、生まれたら神道のお宮参りに行って、毎年お正月は神道の神宮に初詣に行き、結婚式は教会のチャペルで挙げて、死んだら仏教のお墓に入るんだ。」
周りの全員(イタリア人、デンマーク人、スペイン人)が一斉に固まる。
「そんなの信じられない!」
「クレイジーだ!」
「どうしてそんなに行ったり来たりができるの?」
言われてみると日本人ってそうとうクレイジーなのかも。
あるいは日本の宗教が世界基準からみると恐ろしく寛容なのか?
「日本の教会での結婚式はファッションみたいなものかなぁ、、」
ホテルのチャペルで式を挙げた過去を棚に上げて人事のように説明する。
「ヨーロッパの大部分では、生まれてから死ぬまでずっと同じ宗教。取り込まれてるようなものなんだよ」
なるほど、そういう強烈な力を持つ宗教に対抗して、非宗教的なスピリチュアリティへの欲求が強いということは言えるのかもしれない、と感じた。
海外に出て初めて日本の素晴らしさに気づくことも多いが、このような、自分たちにとってなんでもないことが世界的にはとんでもなくありえないことだと知ることもとても興味深い。
クレイジーな日本人にとって、宗教の緩やかさははたして善なのか?害なのか?それは日本的精神にどう影響しているんだろうか?
古くて新しいこの問題をいま一度考えてみたいと思うようになった出来事でした。 (AYU)