こんにちは、アユです。
いわゆる鮎、清流の女王ともよばれる川魚ですね。故郷の川では鮎釣りが盛んでした。
私も他のメンバー同様、今年6月に動物名「Ayu」を獲得することができました。
イタリアにはいない魚なので、ダマヌリアンからもそのまま「Ayu」と呼ばれております。
「Ayuって何?」と聞かれると「Pesche Giapponese(日本の魚です)」と答えています。
次回訪問するときは写真付きパネルを用意していかなくちゃ。
アユを選んだ理由は、古来より日本では占いに使われた魚であることから、シンクロニシティーや無意識からのメッセージにより近づきたいという願望から。もうひとつは、生まれた川から大海に下り、また元の川に帰ってくるという生態が、人類という種の魂の旅路を示唆するダマヌールの伝説『鏡の神話』に共鳴しあっていると感じたから。自分の名前がそういった伝説や哲学とどこか無意識レベルで結びついていると、日常生活のなかで「自分はなんのために生まれてきたのか、この人生で自分は何をすべきか?」という疑問が湧いてきた時、自分自身の名前の持つエネルギー(フリークエンスと言い表すこともありますが、日本人にとっては言霊のほうがピンとくるでしょうか)が求心力を発揮して、より本来の自分に戻れるような気持ちになります。
新しい名前を獲得することは、そういった個々の存在の根底を揺り動かして、古い習慣や文化的慣習、自分自身の作ってきた「なまけぐせ」から脱することを可能にする良いチャレンジなんだな、と実感しています。ダマヌールではこのような仕組みを、人生をかけたゲーム『ゲーム・オブ・ライフ』と呼んで、ダマヌールの社会を常に活気ある状態に刷新するための重要な本質、と捉えています。動物名や植物名の獲得は、その『ゲーム・オブ・ライフ』の一部分なのです。
もうひとつ思うことは、自分たちのような地球の反対側から参加している『非在住市民』に対して、このようなチャンスを与えてくれたダマヌールの懐の深さ、そして未来に向けたビジョンや期待を感じないわけには行きません。
文化や習慣のまったく異なる私達に対して、ダマヌール市民たちはいつも熱烈な歓迎を示してくれますし、そのような「差異」を多様性として受け止めてくれる(それにまつわる日常的な笑えるエピソードも多々ありますが)ことに、驚きとともに感動しています。
と同時に、これまでのような、時々ダマヌールにやってくるだけの『お客さん』ではなく、心の奥底に「私はダマヌール市民です!」との確信を持っている『ホンモノの市民』になりなさい!なれますか?と問いかけられているようにも感じます。そのために生じるいろいろな困難を、まるでゲームでもするかのように、蹴散らして!!!
それは単なる美辞麗句ではなく、これまでイタリアを中心にしたヨーロッパ(ドイツ、オーストリア、クロアチア、オランダ、スペインなど)各国出身の市民(在住、非在住)をマジョリティに構成されてきたダマヌールそのものが、更に多様性と広がりを手にするためのチャレンジをしているとも思えるのです。ダマヌールの創設者のファルコはかつて、ダマヌールの未来に関してこう語ったそうです。
「ダマヌールでは、イタリア人がマイノリティにならなくてはいけない。」
自分の新しい名前を呼ばれるたびに、そういった変化に対する期待や、未来を創造することへのエネルギーもどこかで感じている今日このごろです。
(Ayu)