先日、地元のお寺で父と兄の一周忌を行いました。
人はいつ、死別した人と本当に別れられるのか。
思えばこの一年、この問いばかりが頭をめぐり、答えの糸口さえ掴めないまま、一周忌を迎えたのでした。
「人よ、詩人よ、友人よ、そんなに簡単に、死別を乗り越えないでおくれ。巧い活字や慰めの言葉で、彼らの死を過去にしないでおくれ。」
ふと、本棚から抜き出した写真集の中に、ライオンがガゼルを狩るシーンがありました。死んだガゼルの友人も、死別を悲しむのだろうか・・・
昼食にと庭で摘んだレタスをかじる今、
死んだレタスの友人も、死別を悲しんでいるのだろうか・・・
頭がおかしくなる。
死別とはこういうものなのか。
いのちを巡る、果てのない想像の旅。
「人よ、詩人よ、友人よ、そんなに簡単に、いのちを語らないでおくれ。
神になったような語り口で、神秘を解き明かさないでおくれ。」
僕は、
いのちの不思議に迷い続けよう。
言葉でまとめあげて前に進むより、沈黙して迷い続けよう。
わかったように語るより、わからないことを探し続けよう。
お焼香を2回。いのりの手を合わせたとき、僕は心の中でつぶやきました。
「まだ、明日あなたに会えるような気がしています。死別って、そんなに
簡単じゃないみたい」
いまはこれでいい。
何かを願うのではない。決意を示すのでもない。
「迷っているよ、歩き続けているよ。」
今の僕にとっては、逡巡することこそが、本当のいのりです。
CLIONE