人生の転機は絶望とともに(1)


日頃、出会う人からパワフルだとかエネルギッシュだとかポジティブに?評価していただくことが多いような気がする自分も、ほんの10年ほど前には、危機的な精神状況にあった。RANAの回想に触発されて、その頃のことを少し書いてみたいと思う。


10数年前、新しい事業を始めてすぐに、何もかもが上手く行かなくなった。

対人関係も、金銭関係も、私生活も社会生活も気がついた時には身動きとれないほどで、何がどういけないのかどうしたら良いのかもわからず、もがき苦しんでいる自分がいた。苦しんでいる、ということすら自覚できずにいた。ただ毎日がしんどく、考えようとして何も考えられず、我に返ってはまた考えようとして、また考えられず、という堂々巡りの毎日だった。

 

ある晩、一人で目を閉じて眠ろうとしていたとき、寝返りをしたはずみでなにか光るものが「視界」を横切った。はっとして目を開くと、いつもどおりの真っ暗な寝室。もう一度目を閉じる。変だ、目を閉じたほうが明るい!そして目を閉じたまま、手を顔の前に動かした時に気がついた。光っていたのは自分の手だったのだ。まだオーラという言葉も知らなかった自分にとっては、生まれて初めて体験する、驚異的な、理解不能な現象だった。

 

しかし、何かが起こり始めているのだ、という確信だけが湧いてきて、パニックにはならなかった。

 

 

新たな変化の直接のきっかけは、何年も会っていなかった知人からの突然のメールでカウンセラーを紹介してもらったことだった。とにかくそこへ行かなくては、という気力というか確信のようなものに導かれて、なんとかカウンセラーの元を訪れた。

 

「あなたは本当に、よく頑張り、よく生きて、ここまで来てくださいましたね」

 

自分の話を一通り聞いたカウンセラーは、思いがけない言葉をかけてくれた。

そのことで、自分の頭のなかで自分を縛り付けていた何かに、カチっとひびが入ったような気がした。その後いろいろなセッションを繰り返すうちに、このしんどさの元兇、自分の周りで起きているあらゆる障害を引き起こしているのは、自分が自分に対して無意識に出している「ダメ出し」なのだと気づくことができた。

 

それまでの人生においても「何をやってもうまくいかない」という思い込みを自ら刷り込んで生きてきたのだ。そりゃあ、その確信は無意識の中に固定され、恐れているはずなのに無意識では望んでいる嫌なことばかりを引き起こしてきたと、今ではシンプルにその仕組みを理解することができる。

 

ほぼ1年ほどかかって、カウンセラーのもとで「自分自身を心の底から認める」という作業に取り組んだ。

 

同時に、スピリチュアル系の書籍をむさぼり読んだ。

そのなかで印象的だった文章に、最近ひさびさに出会ったのでシェアしておきたい。

 

私は、私の思考を見ることができる。だから、私は、思考そのものではない。

私は、身体の感覚に気が付いている。だから、私は、私の感覚そのものではない。

私は、自分の感情に気が付いている。だから、私は単なる感情ではない。

私は、それらすべてを目撃する目撃者である。

 

自分とは何者なのだろう、ということに意識が向いてきたのはこの頃だったのだ。

 

その2へと続く)

AYU