光の戦士への道、ダマヌール(前編)

光の戦士などという表現は、実に、こっぱずかしい。

しかし、この煩悩に満ちた混沌とした世界から、平和と調和と愛に満ちた世界へ、そして、善悪という二元性を超えた「一つなるところ」へ戻るためには、自分自身が光と愛であることを思い出すことからしか始まらないようだ。

 

ダマヌールの人類の神殿を初めて訪れた時、ある一つの壁画に私はひどく魅了された。そこには、鎧を着て灰色の存在たちと戦うダマヌーリアン達が描かれていたのだが、その彼らの戦い方が実に素敵だったのだ。


彼らは、喜び、愛、楽しさ、美しさ、友情、ユーモアセンス、夢、希望、創造性、そういった要素をもって、笑顔で戦っていた。中には、光の戦士として戦っていたはずが、自身の、驕りたかぶり、プライド、不安、恐怖、正当化、自己中心的さ、欺瞞、などから灰色化している者も描かれていた。

 

この、美しく躍動感あふれる壁画を前にして、やっぱりここだ、これなのだ、ダマヌールのメディテーションスクールで学びたいという直感は正しかったのだと再確認した。その証拠に、私のハートはドックンドックンと飛び出さんばかりに波打つ反応を示していた。

 

私は、11-12歳のころ、なぜ人間や社会は、こんなにも醜く、生きることはつらい事ばかりなのだろう、と絶望的な気持ちを抱き始めていた。

そして次第に、仙人になりたいという夢をもつようになっていった。

仙人のような孤高で超越したな賢者になれれば、世間の醜さなど、ものともせず、笑いながら超然としていられると思ったからだ。

 

そして、バブル全盛期の頃、私は20代。

私の人生に、とんでもなく大きな転機が訪れた。

その頃私は、東京でのOL生活に辟易し、厭世的自給自足の生き方を目指そうと考え始めていた。

 

なぜなら、今のこのような社会に馴染んで生きる事は、人生の時間と引き換えにおカネを得、巨大な経済社会の中で、虚構な幸せを求めて生きて死んでいくだけの人生、自ら鎖につながれる奴隷となって生きる事に甘んじる人生だと思えたからだ。

 

私は絶対にそんな人生を選ばない。

人間は本来自由なはずだ。

私にとって、その頃、反逆精神と勇気だけが友達だった。

 

そして、その自由を獲得するために、まずはバイクで放浪の旅をし、農業コミューンに住み込みで働き、そこで、あるインドのマスターの存在をを知ることになった。

それまでの私は、すべての悪は、外側に原因があり、外側を変えることばかりに意識が向いていた。社会がおかしい、人は醜い、世の中を変えなければ、等々。

 

しかし、そのマスターの本には

「内面を見つめなさい、あなたは思考ではなく、感情でもなく、体でもない。そしてそれを鑑賞する、鑑賞者が存在するのみ」

と繰り返し説かれていた。そしてまた、

「もしあなたが、狂った社会を変えたければ、瞑想し、瞑想とともに世間で生きなさい。」

とも言っていた。

そして、決定的だったのは、以下の言葉だった。

 

あなたは自分自身に帰るために

勇気をかき集めなければならない。

社会全体があなたを拒むだろう。

あなたは非難を受けることになる。

が、惨めで、偽善的で、いんちきなまま、

誰かほかの人としての生を生きるよりは、

全世界に非難されるほうがはるかにいい。

 

絶望の真っ暗な空間に、強烈な光がさし、異端者を応援してくれる存在がいることを生れて初めて知った。

そして、私がなぜこの世に生まれてきたかを歩む第一歩の瞬間でもあった。

そしてそれからすぐに、瞑想の道を歩むべく、私はインドのアシュラムへと向った。

 

後編につづく