場の力

― 開かれた場所で、あらゆる多様なそこに来る人たちと共に食卓を囲み、おしゃべりをしたりしてささやかに知り合い支えあう関係が生まれるような時空間を作りたい。―
 
― 「調理人と客」という関係性の中で「代金とそれに見合った料理の質とサービス」のやり取りをするという事を成り立たせたくて料理をしていたのではなかったのだ。―
 
― 振り返ってみると、ここで起こってきたこと全体がまるでひとつの作品のようにも思えるけれど、この場所から何かしらの「動き」を生み出していけたらと思う。―
これは、とある情報誌に載せられていたエッセイの一部。
その情報誌は毎回つまらないので、いつもだったら読まずに紙リサイクルに回しているに、虫の知らせだろうか、なんとなく気になりページを開いてみた。
そしてこの文章が目に留まった。
なんて私と似た感性を持っている人なのだろう!
やっぱりこういう人って増えてきているんだなあ、と嬉しくなった。
かつて夫と一緒にやっていたギャラリーカフェで、私は同じようなことを日々感じ、そして考えていた。そのギャラリーカフェで私は<場>というものの中で巻き起こる人と人とが織り成すエネルギーは、アート作品そのものなのだと実感する貴重な体験をたくさんさせてもらった。
それまでの私は、どちらかというと一匹オオカミタイプというか、あまり人と集うことをせず、人と一緒に生きる事にも興味を持たず生きてきたので、その<場>は私の人生を180度変えたといっても過言ではない。
 
あのギャラリーカフェはなくなって久しいけれど、こうして時代が一めぐりし、人々が集うユニークな<場>が雨のあとのタケノコのごとく現れているというのはとても興味深い現象だ。
そしてその個々が、シンクロして同時多発的に様々な活動を起こっていると思うと、なんて面白い時代が来ているのだろうと思う。
いわゆるスローで丁寧な暮らしが(この言葉はなぜかあまり好きではないが)、今の荒れた社会を立て直すような柔らかい動きを起こしていると思うと、とても心がワクワクする。
もちろん、シェアースペースや、カフェや、地域活性化のプロジェクトなど、素晴らしい成功例ばかりではないとは思う。
でも、でこぼこ道を迷いながらでも、失敗しながらでも進んでいくことって、それが人生だよ、なんてありきたりの言葉だけれど、今さらながら深く身に染みて思ったりしている。
 
思いの力とひらめきと行動力。
愛と知恵とユーモアセンス。
全く違った個性の人々がつながる事で生まれるクリエイティブな力
そして
夢を持つからこそ生まれる力。
 
暗闇の勢力がどんどん広がるこの美しい地球という3次元の時空ポイントで、どれだけその力を楽しんで広げていけるか。
今年の私はさらにおもしろくなりそうだ。