才能と教育

先日、息子のお絵かき教室の体験参加についていった。
公民館の一室に、おじいちゃん先生と、十数組の親子がわいわい賑やかに集まっていた。


おじいちゃん先生はなかなかの実力者らしく、その日は過日終了した美術展の入選結果の発表からだったのだけど、なんと20人位の子供たちのほとんどが特選や入賞だったのだ。

入賞したそれぞれのお子さんの作品に対する先生の講評もなかなか聴き応えがあって、
確かに子供らしい独自の視線を大切にして、大人の常識を当てはめないようにということをさらりと言われていた。
このおじいちゃん、只者ではないな、と身震いする。

息子は絵を書くのが好きというよりは、仲の良い友だちが来ているからやってきたという感じで、本人の描く絵も7歳児としてはごく普通なのか、手足は線みたいで細く、顔も目も小さい。

先生はみんなに本日の課題(おかあさん)を与えて、「顔は紙の上半分より大きく、はみ出しても良い。首も太く書いて、手も足もしっかり書きなさい」と具体的に指示を出していた。

その後先生はひとりひとりの子供のところを回って、指示をだすだけではなく、実際に
どんどん描いていっていた。そうやって実際に描いて「こんな感じにやりなさい」と示している。これにはびっくりした。

でも、息子のところに回ってきた先生がどんどん絵を直していくと、確かに「おお!」っと目をみはるくらい、インパクトの有る絵になっていく。子供の意志や感覚を尊重して、というよりも、本人の潜在的な能力を引き出すにはこうしたほうが良い、という確たる自信があるようだった。

そうやって目の前に具体例が現れると、子供たちもその延長でさらにのびのびと描いて
いけるのには目を見張った。

その指導は、たしかに大人の常識から子供たち独自の視線を守る「補助線」になるのだろうけれど、それは大人から見たある種「子供らしさ」の押し付けになりはしないか?
でも、そこに潜在的な能力を伸ばすという教育の素晴らしさと、押し付けではない指導から逸れないための絶妙なバランスを要求される難しさがあるのだろうな、と興味深く感じた。

息子よ、お前もいつかアーティストとして目覚めるのかい?

AYU