それって、認知症?それとも認知バイアス?

昨晩のこと、

「夕食の時、わたしだけ、つんぼさしぎ」

同居している姑から発せられたこの言葉を聞いて、

嫁の私はすごくいやな気持ちになった。

「えーっ、自分から夕食のために上がって来るのが面倒だから

 持って来て欲しいって言ったじゃん!」

90歳になる姑との毎日では、こんなことが日常茶飯事である。

その度に腹立つけれど、

「これは、とうとう認知症か?それとも、認知バイアスか?」

と一応心配し、

現時点では認知症でないと判断できると、

「おばあちゃんがそういう考え方になってしまうのは、

 人の性(さが)のせい。自分も同じようなもんだからなあ〜」

と、とりあえず、その場しのぎの納得を自分自身にさせる。



実のところ、

おばあちゃんお得意の「認知バイアス」

そう言う私も毎日のように使っている。


例えば、毎朝の日課にしている血圧測定

今朝は、あえてしなかった。

昨夜の夜更かしに加え、起きてすぐあちこち動いてしまったので、

きっと血圧が高いだろうと思ったからである。

あれっ。それじゃあ、何のための血圧測定?

実は、血圧が高そうだなあと思える時には、

 

測定値が高血圧だと不安になるので、測定を控え、

血圧に不安が無いときに測定するというアホなことをしている。

つまり、

自分の血圧が低くなってきているという事を確認したいがための測定になってしまっているのだ。

隠れ中日ドラゴンズファンの夫が、

ドラゴンズが強い年だけ、やたらとテレビ観戦するのと同じである。


こういう傾向は多かれ少なかれ誰にでもあるが、

これは、たくさんある認知バイアスの種類の中では、「確証バイアス」に当てはまると思う。

「確証バイアス」とは、

自分に都合のいい情報だけを集めて、自分都合の方向に先入観を強めてしまう癖のこと

であるが、言い争いが解決しない場合は、これの仕業かも?


社会心理学上の「思考を歪める認知バイアス」は、他にもいろいろあるようだ。

例えば、勤務先の小学生がよくやるバイアスは、

「成功は自分の手柄、失敗は人のせい。だから失敗の責任を取らなくていいんだ。」という自己奉仕バイアス。

 

トラブルメーカー的な子供達の多くは、

トラブルの原因を友達のせいにして、逆ギレ状態になるか、悲劇のヒロインになるのが、常套手段である。


これって、大の大人の私だってよくやる、ありがちなパターンだ。


顔のシワやくすみ、シミを見るとショックを受けると感じ、

なるべく鏡をじっくりのぞかないようにすることも

バイアスかな。

 

でも、

心のシミやくもり、人生で刻んだ内面のシワは、

善し悪しや好き嫌いでえり好みしないで

ちゃんとじっくり観ないといけないな。

反省、反省。

              RANA