過去生リサーチ感想  「過酷な運命、そして慈愛へ」


今の人生に強く関係のある人生を知ることにより、自分自身をより深く知り、より豊かに生きる。 
数年前に初めての、過去生リサーチのセミナーを受けました。


 その人は、両親が奴隷としてアフリカから連れてこられ、生まれたのはアメリカの大地。 
コットン農場での過酷な労働。 
白人たちから人間としての尊厳を踏みにじられつづけ、奴隷として生きる以外の選択肢のない人生。 


そんな運命の中、アフリカの民族のストーリーを両親から語り継がれ、歌い、踊り、その誇りを強さの根源とし、強く生きた人生。 
家族や仲間を大切に生き、貧しいながらも、たとえば食事作り一つでもちょっとした工夫をし、皆を喜ばせたりすることが大好きだったり・・・ 
だから、彼女の周りには常にたくさんの人が彼女を慕って集まっていたという。 
 
今の私とあまりにもかけ離れているその性質や人生をどのように統合したらいいのか・・・。 
私はそんな人気者でもないし、そんなに強くもなく・・・。 
自分の中にもそんな豊かさにつながれるものがあるのだろうか、と正直戸惑いがあった。 
 
でもよく考えてみたら、この半世紀ほど生きている中、なぜだか何度も何度も沢山の人々に食事を作る機会に巡り合い、それは今でも続いている。 
知らず知らずのうちに、そんな小さなこと、ちょっとした普通なことの中で、愛を表現しつづけているのかもしれない。 

また、奴隷として人権など全くない境遇にありながら、肉体的にも精神的にも屈辱を与える人間に対しても、決して屈することなく、それどころか、彼らはただ単に<弱い存在>なのだと深く受容していける、慈愛と理解を彼女は得ていた。

 
そういえば、今世の私は、確かに屈辱的な体験は何度となく体験しており、なぜこんなことが起こるのか、悔しくて眠れなくなるなんてことがあった。 
もし、人生の中で起こる出来事に意味があるとしたら、その屈辱は、あの人生の中で得た深い理解を、再度思い出すためにおこったのかもしれない。 
そう思うと、思いもよらない角度から今の人生を、見ることができるものだと、しみじみとしてくるのだった。 

マカオーネ