限界集落

「ここに移住する決め手になったのは、携帯が圏外だったからです。」
ある限界集落へ移住した30代くらいの女性がさらっと語っているのをテレビで見て、爽快な気分になった。
やるなああ!面白いじゃないか!
そのあと、やはり同じ地域に移住した若い夫婦とそこで生まれた子供一人の3人家族の様子が映しだされた。
その地域の人たちの手作り品などを売る小さなお店を自宅に作り、それで生計を立てているらしい。
月9万もあれば3人で暮らしていけるとのこと。
料理するのもお風呂を沸かすのも貰ってきた木材でタダだし、家賃は月5000円。
食べるものはどうしているのかは映っていなかったけど、田舎だとたいてい近所の人が野菜なんか持ってきてくれたりすることが多いし、小さな畑で曲りなりに自給自足してるという雰囲気の暮らし方だった。
近所のおばあちゃんが、迷惑だろうけれどと言いつつ、子供に手編みのセーターをプレゼントしている姿に心があったまった。
 
最近、私が田舎に移住したいと言うと、それを聞いた義理のお姉さんが「そんなところに行ってしまったら買い物難民になってしまうわよ、大丈夫なの?若くないんだし」と心配そうに言ってきた。
それに対して私「買い物しなければいいんですよ」と一言。
すると彼女は口あんぐりで、もう何も言わなくなった。
 
 
<生きていく事>ってどういう事なんだろう。
<生きる>ってどういうことなんだろう。
そんな疑問を持ち始めたのは、はるか昔の20代、東京でOL一人暮らしをしているバブル全盛期のころ。
どう生きるかを悩みぬいた末、自給自足の生活を夢見たが、幸か不幸かそれはうまくいかず、なのでその前にもっと世界を見なければと思い、バイクで日本縦断したのち、インドの瞑想アシュラムに行ったりなどした。
その時インドのマスターに出会って少しだけ知ったことは、人間とはどういった存在なのか、外側がどうれあれ自分自身の内側にとどまること、観照者であれ、それが全ての探求の道、一つなるところへ、それが魂の欲する道、ということだった。
 
<生きる>ってどういう事なんだろう
<生きていく>ってどういう事なんだろう。
限界集落へ移住した彼らの姿は、そういった問いかけをしながら、破壊の道をたどる集合意識という川の流れにもめげず元気に遡っていく魚のように見えてならなかった。
そしてまた、大学を中退してしまった姪っ子が、私の20代のころの生き方に興味を示し、私の話を聞いてみたいと言っていると母から聞いた。
母としては、平凡で安定した生き方を選ばない私の話を孫には聞かせたくないそぶりだったが、私としては姪が望むなら、いくらでも<危ない生き方>を伝授しようと思っている。
こうして、次の世代に思わず応援歌を歌ってしまいたい気持ちになってしまう私は、結構いい人生いい年齢を重ねているのかもしれない。