新型コロナウイルスと人類の未来

新型コロナウイルスの国内での蔓延は、3月22日現在、いまだに楽観できない状況が続いています。

 

イタリアを始めとするヨーロッパ諸国も感染が爆発的に拡がっており、ダマヌールでも商業施設の閉鎖(通販にはかろうじて対応しています)など、人と人との接触を減らすためのあらゆる手段が取られています。

 

しかし、ポジティブな意識でパニックを吹き飛ばそう!と、ダマヌールならではのセルフィックやマジックな防衛手段もフルに活用して、この未曾有のウイルスの侵略を、人類が新たな段階へ進化するための重要なステップだと捉えています。そして、通常の医学や公衆衛生的に重要な観点からも、しっかりと対応しています。

 

 

このウイルスの厄介なところは、致死率は割に高くない(イタリアでは9%を超えていますが)割に、無症状無自覚な感染者の一部が他人にうつして回っていると考えられているところです。なので、こうなると社会生活を極限まで切り詰めて、人と人との接触を避けるしか方法がなく、事実、イタリアを始めとした世界各地で実際にこの方法を取っている、というよりも、それしか方法がない状況に追い込まれています。

 

日本も、実際にヨーロッパ諸国と同じ状況(ロックダウン)になっても不思議ではなかったのです。ここまでの状況で済んでいるのは、ひとえに最前線の現場の対応と、日本人の生活習慣(キスやハグなどのスキンシップをあまりしない)、そしてなんだかんだと言いながら自粛に応じてきた「世間の空気を読む」感覚が功を奏してきたのでしょう。

 

しかしながら、このウイルスの要注意なところは、致死率に注目して警戒してきた人類の経験をあざ笑うような、人類のこれまでの対策のスキを突くような「巧妙さ」です。日本に限って言えば他国でのペストやSARS、MERS程には感染者は死んでいないけれども、社会的な影響はとてつもなく大きい。

 

 

もはや世界中に広がってしまっていることは受け入れて、その国における医療事情が許す範囲で助けられる人を助けるしかない状況で、日本はその中ではかなりうまくやっている部類です。

 

その反面、日本国内でも地域によって危機感の濃淡が著しく、日本全体に「おちついてきたムード?」が広がり始めているなかで、実際にコロナウイルスの診療にあたっている医療の現場は破綻寸前と言われています。

 

2週間以上に及ぶ自粛要請や休校によって、私たちの生活は大きく影響されています。しかし、ウイルスとの戦いは収束したわけではありません。むしろ始まったばかりです。精神的にもきつい状況の続く中で、状況を楽観視したいという思いを持つのは不思議ではありません。

 

 

しかし、本当に気を緩めて良いのでしょうか?このウイルスの「巧妙さ」にごまかされていませんか?

 

ある意味、このウイルスは「人類の意識」に挑んでいる挑戦者なのです。

 

 

政府や医療機関に文句を言っているだけでは、あるいは、このウイルスの巧妙さに煙に巻かれて見るべきものを見ていかなければ、日本もすぐにヨーロッパ諸国の状況に追いついてしまうでしょう。

 

日本の社会体制により個人に託されている(押し付けられている?)こと、空気を読むとか人様に迷惑はかけないといった消極的なところから、これからさらに現れてくるであろう私たちの社会の持つ弱点、人付き合いのレベルから社会的なレベルまで、ポジティブに変化させるためには何をどのようにしたら良いのか、いっしょに考えて行きましょう!

 

 

最近配信されたダマヌール関連のテキストではこう書かれていました。

 

地球は大きなコミュニティ:

 

人類が大きなコミュニティであると感じたとき、私たち一人一人の意識の反射は、新しい気候、新しい欲求、新しいライフスタイルを生み出す、より高いヴァイブレーションのフィールドを作成できます。

 

私たちは、全世界のために私たちの存在をかけてこの困難な瞬間を生きます。意識の聖杯と生命への愛で、私たち一人一人と接触しようと試み、地球上のすべての人々にそのエネルギーを注ぐことができるように。

 

人類が目覚めるのを助けるために、私たちの心を介してお互いにつながり、春の到来を祝いましょう。

 

私たちはいっしょに、ファルコの手紙の中で彼が示唆したことを行えるのです:

「人間をつなぐことは、世界を変えるオーケストラを作ることを意味します!」