共有の文化

ダマヌールにおける全ての選択の根本にあるものは、哲学的、精神的なモチベーションです。

 

持続可能な社会を実現するという夢は、植物も動物もバクテリアも人間も、全ての生命は同じ神のエネルギーの現われであるという考えから生まれています。

 

一人ひとりがいかに深く周囲を取り巻く生命の重要な要素と結びつく事ができるのか、という意識を目覚めさせる為に最大限の努力を払わなければならないという信念は、ダマヌリアン達を社会や経済という外部の環境だけでなく、その文化をも持続可能なものへと転化させる事ができるようにと、導いていきます。

 

ダマヌリアンは、人々が様々な価値観や信条を共有できるように、神話や物語、劇の上演やその他の表現方法を創り出してきました。

 

ダマヌールとは結局のところ、様々に異なった言語によって共有される長い物語でもあります。大人から子供へと順番に、ダマヌリアンとその友達は、それぞれのストーリーを語りあい、お互いに耳を傾けるのです。

 

独自の文化の創造は“何を食べるのか”という様なものではなく、常に根本的な視点は、ダマヌールにおける持続可能性というコンセプトの中にあります。

 

そこでは全員が、”詩的な行為”や”詩の具現化”をもたらすべく専心するのです。こうして少しづつ独自の神話が誕生してきました。

 

初めはファルコによって提案され、次に多くのダマヌリアンによって、演劇の上演や創作音楽が発展してきました。

 

いつも著者や観客は、その役割を循環させています。脚本家、インスピレーションを与える人、画を描く人、賞賛する人(又は時折口笛を吹く人)、批評する人、解釈する人、キューを出す人、翻訳する人・・・・等です。様々な役割を演じるのは、同じ人達なのです。それが演劇か音楽か絵画か・・・等々、どれを語るのかによっているだけです。

 

文化は知識人の為だけではなく、芸術は専門家の為だけではありません。両者は理想と価値の共有という交錯するタテ糸とヨコ糸を織りなすポピュラーな感性なのです。

 

家の外壁に花や植物や動物を描いて表現する事は、私達とそれら全てが共に存在しているエコ・システムの大切さを思い出す為であり、共通の物語とアイデンティティーを持ちたいという願いに答えるものなのです。

 

それらは形成中の新しい世界のイメージでしょうか?後に続く人達によって判断されるでしょうが、もし私達に聞いてもらえるのなら、その答えはもちろん、”はい”です。