セルフィカの芸術

 “セルフィカ”は、ダマヌールが創設された初期から続けられている探求の分野です。それはファルコ・タラッサコによってもたらされ、ダマヌリアン達の手によって発展を遂げてきました。

 

セルフィカは、生命および知的なエネルギーを凝集し方向付けることができます。それらのエネルギーを金属、色、特別なインク、鉱物を使って、螺旋に形造られたオブジェクトに宿します。これらのオブジェクトが“セルフ”であり、異なる存在の次元(平面)を繋ぐことのできる知的なエネルギーを導きます。

 

“セルフ”にはとてもシンプルなものから、より複雑なものがあります。ブレスレットや指輪、さまざまな異なった特性を持つもの、マンダラとして使う“セルフィックペインティング”、個人の瞑想に使う“セルフィック・ペインティング”、そして同時に多くの機能を稼働させることができる構造もあります。

セルフィック・ペインティング

セルフィック・ペインティングは、その持ち主の感覚の中にメッセージや直観を送ってくる“語りかける”絵画です。

 

各々の色は、異なる生命力のフリークエンスを持っています。

 

セルフィックペインティングは、3次元的セルフの2次元的表現です。絵画の中には“聖なる言語”の研究に基づいた原型的なシンボルが見られますが、これは常に人間の無意識の内に存在してきたものです。

 

このシンボルは、見る人の無意識の世界と呼応し合うようになるでしょう。これらの絵画は見る人に真に感覚的な体験をもたらすので、瞑想のための道具として用いることもできます。

 

ファルコ・タラサッコはこの絵画のジャンルの創始者ですが、彼はまず最初にタイトルを書き、次にそのタイトルをキャンバス全体に展開していくのだと語っています。タイトルの言葉は各々の絵画の特別な機能を使うガイドとなり、これらの絵画の効果は個人的な好みや感受性とも結びついています。

 

セルフィック・ペインティングは光によって活性化されます。その色、形、シンボルは生きており、生命があり、植物が水を必要としているように光を必要とします。セルフィック・ペインティングとの間で築かれた関係を理解するには、購入したと考えるのではなく、むしろその持ち主の“養子になった”と考えるほうが良いでしょう。

 

すべてのセルフのように、セルフィック・ペインティングは活用する人と特別な絆を築き、ある種のエネルギッシュな共生関係を実現し、それぞれの作品との“対話”を可能にします。

 

この絵画のテクニックはファルコによって伝えられ、開発され、その作品は数年にわたりモスクワ、東京、ニューヨーク、サンフランシスコで展示されました。彼の芸術遺産(セルフィック・ペインティングの描画)は、芸術媒体のグループであるファルコの弟子たちに受け継がれ、彼らによってセルフィック・ペインティングの分野の探求および成果は進展しています。

 

ダマヌール・クレアのギャラリー“ニアテル”には、セルフィック・ペインティングが常設展示されています。

セルフィック・ジュエリー

セルフィカと繋がった、その他の芸術的な創造性の分野は、セルフィックなジュエリーです。

 

セルフィック・ジュエリーは貴重な金属、例えば金や銀、それらに由来する合金、琥珀、真鍮、レッドゴールド、ホワイトゴールド等で作られます。これらのジュエリーは、宝石に装飾されている“聖なる言語”のシンボルと繋がっている個人の特別な機能を発展させるサポートをします。

 

“オロ・クレア”工房の金細工師たちは、彼らの個人的な創造性を発展させたり、又は彼らの個人的な要求をベースにする事で、ユニークな一面を生み出しました。

 

しばしば、ある人のために特別に造られたジュエリーは、将来の創造のモデルとなることがあります。このようににして、他の人から見られ賞讃されるデザインをリクエストする事で、クライエントも芸術家になるのです。

 

どのセルフィカ・ジュエリーも螺旋のモチーフと柔らかく丸みのあるラインを持っています。多くの貴重な宝石が嵌め込まれており、この上なく美しい存在であるだけでなく、これらの宝石は記憶を留めるものとして機能します。宝石は、ジュエリーとそれを身に着ける人との間に、揺るぎない関係性を作り出します。

 

セルフィカ・ジュエリーは、徐々にそれを身に着ける人のフリークエンスを帯びてきます。それは、まさに他のセルフで生じている事と同様です。ジュエリーは特定の個人が使うものなのです。他の人に貸す事もできますが、この場合、元の持ち主のためのエネルギーが保たれるので、エネルギーの効果は何も起こりません。

 

ジュエリーとの深いコンタクトをとる事は可能です。それには内面の思考と直感の対話ができる様になる事です。それはまさにセルフック・ペインティングで起きる事と同じなのです。