歴史
ダマヌールの人々の共有の歴史は1975年に始まります。
ダマヌールのスピリチュアルガイドであるファルコ・タラッサコと彼の最初の仲間たちは、超心理学や秘教学の研究センター“ホルス”を設立します。
1977年には最初のコミュニティーのプロジェクトが生まれます。それは1979年の終わりに発足しました。当時ダマヌールの人々は数十人しかおらず、5人によって構成された政治体制を18カ月ごとに選び、彼らが共通の資産を運営することに従事していました。
市民の数は徐々に増えていき、1983年、ファルコは2つの事業を投げかけました。
ゲーム・オブ・ライフとヴィアッジョです。それらは、迅速にダマヌールの人々の数を、従って住居であるヌークレオの数を増やすべきものでした。
80年代の終わりには、別のコミュニティーが最初のコミュニティーの横に並び、ダマヌールのコミュニティー連合体が生まれました。
1992年に人類の神殿が公開されると、ダマヌールは国際的なレベルで認められるようになり、とりわけあらゆる地域から来た市民の存在を増やすことで、数字上の視点から次の跳躍を成し遂げます。
年が経つうちに、変わっていく要求と折り合いをつけるため、社会的・政治的な規範は、6か月ごとに選出される2人のレグイダが統轄する今日の連合体の構造になるまでに、幾度となく改訂されました。
現在では、26のヌークレオとコミュニティーが、カナヴェーゼの半径20キロメートルの範囲に点在し、一方ではダマヌールのセンター、プラノテラピーの拠点、カンファレンス、コース、そして手工業の工房が、イタリア国内、ヨーロッパの様々な都市、アメリカや日本にあります。