歴史

創設当初からダマヌールにおける探求や様々な実験の交流や論議は、大きな注目を集めてきました。最初の協会は、1975年9月に設立されました。”探求と情報発信”のホロスセンターと呼ばれたのは偶然ではありません。

 

ここ40年の間、ダマヌールでの生活は絶え間ない変容に特徴づけられました。最初の年は、共通の文化と倫理を作り上げる為の、とても大きな推進力がありました。

 

次第に市民が増加するに従って、ダマヌールはテリトリーで行う様々な仕事の分野の成長やボランティア活動、地方自治体の行政上の政治的な参加等の活動を通じて、世界により明確に開かれていきました。

 

イタリアでは最初の年からダマヌールセンターが生まれ、様々な講演活動やコースの拠点でした。

 

センターの数は徐々に海外にまで広がっていき、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本にまで拡大していったのです。

それと並行して、カナベーゼ(ダマヌールを取巻くテリトリー)ではクレディトの流通に加入する幾つかの企業が始まりました。

 

ダマヌリアンの経済を補完するこの貨幣システムは、私たちの現在の経済モデルとして共有できるものとなっています。

 

1992年の人類の神殿の公開でダマヌールは世界中にその名が知られるようになりました。今日、この40年の間の人々出会いのネットワークを通して、年間1000人もの人がダマヌールと”人類の神殿”を訪れています。

 

2005年には国連のGlobal Human Settlements Forumは、ダマヌールを持続可能な社会モデルとして公式に認めました。